互いに受け入れることが
先日いった足立美術館の庭の一部。
本当に楽しめました。
先日も申しましたが足立美術館はただ美術品が並べてある美術館ではありません。
庭を眺めながら、美術品を楽しめるそして、豊富な自然と一体となった美術館です。
ふと思ったのですがもしこれが美術品だけだったり、庭だけだったり、自然だけだったりそれぞれ単体で存在していたら、年間50万人も訪れる美術館になったでしょうか?
いくらいい美術品があるからといって、それほどの人を集める事は難しいのではないでしょうか?
美術品の価値っていうのは、そのままでは伝えるのは本当に難しく、ある程度演出が必要となるんではないでしょうか?
例えば蕎麦はそれ単体では美味しくありません。
それを蕎麦屋の店主がどのように演出するかなのです。
日本庭園も素晴らしいですが、美術品と同じくそれだけではこれだけの来場者を生む事は難しいのではないのでしょうか?
豊富な自然だけでも一緒ですよね?
そこで美術品と日本庭園と周りの豊富な自然を融合することにより、素晴らしい「場」が生まれるのではないでしょうか?
その場とは、仏の世界のような心地よさであります。
高野山いかれた方もおられると思いますが、高野山は山自体が仏さんの世界です。
伽藍やそこに住む僧侶が山(自然)と一体になっています。
これが真理で、「山(自然)とお寺がそれぞれ別々に存在しているのではなく」「山(自然)の中にお寺が存在している」のです。
弘法様にしろ、足立美術館の創設者の足立全康さんにしろ、スケールが違いますし、器が違います。
自然をそのまま受け入れ、建物など形成していく、自然の中に人間が存在しているのです。
こうした受け入れる器量と全体を見渡せる広いビジョンを持ってないと、こういった素晴らしい物は作れません。
これを、変に分け隔てすることは、不自然であり、どこかに不具合を生じてしまいます。
逆に受け入れる事は自然なことなので、受け入れることにより、穏やな場になり、心地が良くなり、人を引き付けるのではないでしょうか?
写真にはおさめれなかったのですが、和室の床の間の壁が抜かれて、そこから除く庭がそのまま一つの絵になるという建物は正に自然と一体となっています。
自然、庭、美術品それらを一体化することによりそれぞれ、それ以上の価値を生み出しているのではないかなぁと思いました。
穏やかな世界を作るためには、そして自他ともに高めていくためには、互いに受け入れることが大切ですね。