両翼
こんにちは。
今日は朝から雨がよく降ります。
八月に入りあまり降らなかったので、ありがたいですね。
水の大切さを改めて感じました。
水道が無い時代だったら本当に不安だったでしょう。
ここ知多半島は降水量が少ない地域なので、あちこちため池があり、また地域によっては雨乞いのお地蔵さんがあったりと、その時代の方々の心境が伺えます。
人間がどんなに智慧をつけても、群れていても所詮自然の前では無力ですね。
ですから、自分が偉いとか、優れているとか思っている人は余程勘違いした人なんでしょう。
さて、誰でも安心、安定を望みたいものです。
ですが、過度に安心、安定するのは慢心を生み、どんどん衰退していきます。
もちろんずっとビクビク怯えながら生きるということがいいということでは無いですが、どこかで謙虚さや、感謝の心が薄らいでいくのは事実です。
謙虚さが失われれば、今ある事にも感謝できず、歴史を学ばず、新しいものにも敬意を払えない事態に陥ります。
「自分に限ってないね」と思われるかも知れませんが、私達が思っている以上に、人間というのは恐ろしくて、一度でも勘違いしてしまうと、中々抜け出せないものです。
そして、その要素は誰もが持っているのです。
ではなぜそんな状況に陥るかと言ったら、自分だけは安心なんだ、自分だけは特別なんだという、過度の安心から生まれる慢心によるものです。
誰かがそうしたのではなく、自らそうなったのです。
安心、安全はその様にしていたらそうなるので、言動がそのようになってなかったら、そんな風にはならないです。
では、安心は得られないかと言えば、そうではありません。
何かを拠り所として、心を安らかにするのは大切な事です。
問題は「これでいいんだ」「これで安泰だ」と完全に思ってしまうことです。
そして、それ以上の事を学ぼうとしなかったり、他を排除していったり、ひどい時は自分の考えを押し付けたりそうなってしまっては、「安心」という言葉からは随分離れてしまいます。
では、どの様にしたら真の安心が得られるか、そのためには安心とは対の少々の不安や不幸が必要となります。
必要となるという言い方は、語弊があるかも知れませんが、少々の不安がある事により、今ある事に感謝でき、謙虚さが保たれます。
そして、なによりも感覚が鋭くなります。
ですから、今何かしらの不安を抱えていたり、問題を抱えている事は、逆にいえば、真の幸福を得やすいということにも言えます。
冒頭でももうしましたように、完全に安心する事は慢心を生みます。
そして、人間は怖い生き物であります。
しるこに塩を少々入れるように、スイカに塩をかけるように、少しの不安や不幸は、自分に与えられている幸福を引き立たせてくれる、大切な要素でもあります。
この安心、不安という両翼が大切になりますね。
雨に打たれ庭木も喜んでいます。
正に恵みの雨ですね。