住職の日記

世界は自分の心で作られている

世界は自分の心で作られている

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柿を模したちりめん。

もうすぐ柿の収穫期ですね。

「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」というように、正岡子規の有名な俳句がありますが

柿という季語が見事、静かな秋の法隆寺の様子を連想させます。

静寂に包まれた、境内にいつまでも響く鐘の音も。

「鐘がなる法隆寺」は常の事ですが、この「柿」という言葉一つでガラッとその様子が変わりますね。

言葉というのは本当に凄い力を持っていると思うのです。

…というのは先日、ご覧になられた方もおられるかもしれませんが「オン・ザ・ハイウェイ」という洋画を観たのですが

改めて、言葉の凄さを感じさせられました。

あらすじは、建設会社で働く、主人公が大事な工事の前日に、不倫相手が子供が生まれると連絡が入り

その出産に立ち会うために、仕事を投げ出して、不倫相手のいるロンドンの病院に

高速道路にのって向かっていく車の中での様子です。

…この映画何が凄いかって、登場人物は主人公、家族(奥さん、息子、娘?)、不倫相手、病院の先生、看護師さん

役所の人、建設会社で働く仲間、などなどたくさんいるのですが、カメラに映る人物は車を運転している

主人公一人のみで、後は声だけの出演なのです。

主人公が運転する車の、車内電話で相手とやり取りして、その応答する声だけで

仕事現場が慌てふためいている様子や、不倫相手に子供が生まれるといきなり知らされて、

家族が混乱し崩壊していく様子や、出産前にお産で苦しむ不倫相手など、

声だけの表現にも関わらず、生々しいほどに、その情景が伝わってくるのです。

そして、主人公しか映りませんから、まるで主人公の立場になったような

ドキドキ感が味わえます。それは、ドッカンバッカンという派手なアクションでドキドキする

それとは違います。

言わば、ラジオドラマに似ているかもしれませんね。

普通、それらの状況を映画で表現するなら、それぞれ俳優を選び、セットを作りと

大掛かりかもしれませんが、この映画は車の中のシーンだけなので予算も少なく済みますよね。

そして、言葉と言うのは改めて凄いものだなと思いました。

まぁ、派手なアクションやコメディを好む方には向かないかもしれませんが

秋の夜長静かに観るならうってつけの映画だと思います。

さて、我々は様々な「識」を持っています。

この自分の持っている識によって、世界の色が変わるといっても過言では無いのです。

つまり、世界は自分が作っているとも言えます。

その世界は、自分が見た物、飛び込んできた情報や言葉、匂いなので形成されていくのです。

ですから、それらを映し出す根本の「心」が淀んでいれば、どんな情報でも、景色も真実を

映しだされることはないでしょう。

確かに、言葉や目に映る物は大切でありますが、それが全てではないということでしょう。

従って、我々がよりどころとすべきは、仏法でなければ

偏見に纏われて、正しく認識できず、常に「善悪」「優劣」を作り穏やかになることは無いのです。

「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」

法隆寺行ったこと無いけど、この俳句を見て、どこか静寂に包まれた秋の夕暮れに法隆寺に

鳴り響く鐘の音が今ここまで届いてきそうになりました。

世界(識)は言葉や情報を元に心で作られていると、改めて

言葉の凄さを感じた次第であります。

法隆寺の鐘の音が世界中の人々に届くといいですね。

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