住職の日記

一人で超えられないのなら

一人では超えられないのなら…

初夏の花、ハナミズキが咲き出しました。

「初夏の花」って響きいいですね。

さて、我々の周りには様々なインフラがあります。

水道、電気、ガス、ネット、電話、道路などなど

これらのインフラは生活の基盤になり、誰もが平等に恩恵を受けることが出来るのです。

「誰も」というところがポイントで、そこに善悪など差別はないのです。

もちろん豊かになる反面、犯罪にも利用されることもしばしばですが

ですがそれを差し引いても、考えられないくらい豊かになるのです。

御佛もそうした恨み憎しみを超越して、どんな人であろうと慈しみの光を平等に

当てているのです。

その御佛の尊い働きがあることにより、善悪関係なく平等に命は育まれて行くのです。

弘法様も「南無大師遍照金剛」とお唱えすれば、いつでもどんな場所でも誰でも

瞬時にそばに寄り添ってくれて悩める我々を救って下さるのです。

正に一番のインフラと言えますね。

「境地」に達すると言うことはそう言うことです。

我々も、そうして善悪を超えて身を微細にして人に施すことが理想なのですが…

我々人間には感情がありますから、好き嫌いがあったり、自分への執着が働いたり

また力が足りなかったりして行動に移せない事があります。

まぁ殆どの人がそうでしょうが。

そこで、「普請」が大切になるのです。

普請はその字の通り、皆に声をかけ呼びかけるのです。

道を作る際には「道普請」寺社を建てる際には「寺社普請」といい

皆でそれぞれの力を出し合い、大きな事業を成し遂げるための、有効な手段であります。

そうすることにより、皆が便利に使える「道」が出来、皆が豊かになるのです。

また普請は「結い」とも良い、人々のつながりを作り、「相互依存」の世を

自覚することが出来るのです。

我々は御佛の様に、自身を微細に砕き他のために

完全に尽くす事は中々難しいですが

それぞれが持っている力を出し合えば、

「大きな道」が拓かれるのです。

その協力し合う様子は、まさに御仏の世界であります。

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