作務中草叢に入ったら、ひっつき虫にやられました。
それにしても、ぎっしりやられましたね。
これも全て子孫繁栄への執念ですね。
…執着することは本来よくありません。
しかし、そもそもどうして執着が生まれるかと申しますと
「自我」と「煩悩」があるからです。
本来有るはずのない自分に執着をし、囚われることで苦しみが生まれます。
それによって、相手を傷つけたり、深く考えこんだりします。
ただ、こうした我執と言うのは、利己的ではありますが
人をこうした何かの行動に駆り立てるのです。
それを支えるエネルギーとなるのが煩悩なのです。
そこで、その苦しみから脱するには道は2つ
1つはそのエネルギーとなる「煩悩」をカットすること。
そして、2つ目は行動の動機を変えることです。
前者は現実的ではありませんね。
人は生きているということは煩悩は無くすことは不可能です。
そもそも、煩悩=悪いという思い込みが間違っているのです。
煩悩とは車で言うところのガソリンであります。
使い方を誤らなければ、素晴らしい生命エネルギーになるのです。
そこで、大切になるのが、物事の起こりであります。
つまり、行動動機です。
仏教は煩悩を肯定はしませんが、完全に否定もしません。
否定をしない条件というのが、物事の起こりが利己的なものかどうかであります。
つまり、多くの人を幸せにしたい、世の中の役に立ちたいという利他的な起こりで
あれば、否定はしないのです。
煩悩即菩提と言いますように、煩悩は物事の起こりが誤らなければ
悟るに至る事ができるのです。
反対に言えば、煩悩が生きている以上存在する人がこの世で苦から脱するには
この方法しか無いと言えますね。
人が持っている凄まじい執念をどこに持っていくのか?ですね。
それくらい夢中になれるものを見つけられるといいですね。