お疲れ様でした。
ハマボウの葉がいよいよ最後の時を迎えました。
もうすぐ落ちて行きます。
春先青々とした葉で、晩秋を迎えると黄色く褐色を帯びた葉で我々の視覚を楽しませ
そして、光合成をおこない生き物に酸素を配給し、そしてこの大きい木に栄養を送り支えてきました。
自然は、他の為に尽くし、尚且つ自分の命を尽くす、正に尽くしあいの世界なのです。
それはこの自然は空に生きているからです。
この世の無常を観念し、与えられた役割、命を尽くすのです。
それに比べ我々人間は、妄執による誤った考え方から、確固たる自分にすがり、物に執着し、他を排斥し
すべきことをしないで、無駄な談義に時間を費やしてしまい
ある日気付いたら無常の鬼が目の前に立っている。という具合です。
そこで、どれだけ哀願しても鬼は、一切聞き入れてはくれず、きっちり命を奪い去って行きます。
そんな事を気にしてもしょうがないと、ただ変にポジティブに考えても生老病死の定めからは
抜けられませんし、そうした真実から目を逸らした生き方をしていると益々心の本当の安心は得られないのです。
従って、無常を自覚し、この葉の様に他に尽くし、自身の命を尽くすことが大切になるのです。
そうすることにより、今生きる事にこそに幸福があることに気付き、幸せの時間を増やせるのです。
また、そうした方便を究竟とすることにより、自身が生きながらにして微細に砕かれ虚空に舞い
様々な物を受け入れる事が出来、無常の鬼も悪魔も我々を捕まえる事は出来なくなるのです。
つまり、空に生きる人は生老病死の苦みを超えて、生きながらに虚空の世界に身を置くことが出来
生きている時は生き生きと、そして死んでいく時は仏の世界に穏やかに還る事が出来るのです。
この落ちる寸前の葉を見て、悲しい、寂しいと言う感情はもちろんありますが
それ以上に、「燃え尽くした」「感無量」という念を感じ、どこか穏やかさを感じます。
我々はその姿に自然に感謝の念が生まれるのです。
この姿を仏と言わず何というのでしょう?
葉はこれから落ちて行きますが、これからも虚空に冥合し様々な命の支えになって行くのです。
折角、縁あってこの世に生を授かったのだから、後悔しない為にも「尽くすべき」なのです。